最近万年筆を手に入れました。
万年筆ってカリカリ文字を書くものだと思っていましたが、スイスイサラサラ書けます。書き味はとてもなめらか。
心なしか書く文字もいつもよりキレイに見えるような気がする。
学生時代にユーキャンのボールペン字講座を受けていたこともあり、無心になって文字を書くことは結構好き。
また美文字の練習しようかなと思い立ったので、練習帳を用意しました。
ボールペンとは違う書き味が楽しいです。
さてタイトルの書く文字はその人の人柄を表すという話。
別に右上がりの文字は向上心の表れとかそういう性格診断的な意味ではありません。
私が実際に出会った人の話です。
WordやExcelで書類を作ることが一般的になりやり取りはメールが当たり前になったとはいえ、簡単なメモはペンを動かして手書きしますし、付箋にメッセージを書いて渡すということもまだまだあります。
その人はちょっと独特の癖のある字を書く人でした。そしてちょっとせっかち。
7と9の判別が難しかったり、6なのか0なのか分からない書き方をしてあったり。
皆が確認するホワイトボードの文字が読みにくい、予定の変更の字がわかりにくい。
その都度なんて書いてあるのか確認しなくてはいけないのでちょっと手間です。
みんなが確認するものは分かり易い字で書いて欲しいとお願いしたこともあります。
別に美しい字で書いて欲しいのではなく、分かりやすい字を意識して書いてというお願いです。
しかしその後も改善されず。
この方、学歴も素晴らしくパソコン仕事もとても得意、しかし自分本位な言動が目立つのでちょっと浮いた存在です。
うーん、字を書くというのは読んでくれる人がその先にいるということ。
読んでくれる人に配慮して読み易く丁寧に書くことが出来ない、書く気がないというのはつまり同僚など周囲へ配慮をする気が無いという意味で根っこは同じではないですかね。
読んでくれる人を意識して丁寧に書く習慣のある人の文字はやはり読みやすいもの。
美しく整った文字で無くとも丁寧に書かれた字かどうかは相手に伝わります。
字がキレイ=人柄が素晴らしいかどうかは一概には言えないかも知れません。
ですが、皆が読むモノに解読が難しい雑に走り書きした文字を書くというのは読み手に対する配慮が足りない、配慮が出来ない人かもしれないという印象を抱いてしまいます。
その出来事から、私の美文字の基準は技術的なことより何より、読んでくれる人に対して思いやりのある読み易くて気持ちのいい文字になりました。
人を判断する基準という意味ではなく、自分が字を書くときに持ちたい思いやりとして、美文字を目指す初心として忘れないようにしたい。
万年筆で文字を書きながらふとそんなことを考えた今日この頃。