日記ブログのセラピー効果。
日記ブログをコツコツ書いて、ようやく50記事ほどになりました。
まさかまさか、毎日投稿することになろうとは。意外と続いてるなーと自分でもびっくりしています。
日記のように書きたいことを書いてますが、時としてネタが無くなることもあり、直近の出来事だけじゃなく、自分自身を深く振り返って記事にすることもありました。
自分を振り返ってといっても私は私自身があんまり好きでは無く、今っぽい言葉で言うなら自己肯定感は低い状態です。
自分を下げる言葉の語彙力ばかり堪能で、いつも自分にNO。私のいいところなんてある?みたいな状態。
それでもそれを素直にブログに書いて、「コレでいいんだ、コレで良かったんだ」と今までを振り返って言葉にして、やっと自分を肯定する足掛かりが出来てきたような気がします。
趣味の歴史の記事にも書いたけど、私は自分の世界に浸ることばかりで、流行りのものには疎いし、「誰かと一緒じゃなきゃ」「協調性こそ正義」みたいな感覚がまるで皆無、なんなら「帰り道も1人でいいや、考え事できるし」くらいの感覚の持ち主でした。
「あんた、他人に興味無いよね」
まあ、そうですね。
側から見るとやっぱり根暗に見えるだろうし、実際否定的な言葉を投げかけられることが多かった。
他人のことには興味が薄いくせに、そういう言葉にはちゃんと傷つく。
今思えばそれなりに肩身が狭く、生きづらく思っていたことも多かったと思います。
そんな私の自己肯定感は当然高くない。
誰も私のことなんて知らなくていい。世界の隅っこで誰にも知られることなくひっそりと息してたいと思っていたくらい。
そんなふうに自分が自分を扱っていると、本当にどんどん根暗な自分になっていく。
どんどん自分自身へのヘイトが溜まっていく。
そうやって下がりに下がり続けた自己肯定感はもはやゼロどころかマイナスで、負債が精算されないまま心の中に厚く積もっていました。
もういっそ、過去の自分は全部切り捨てて、今日からの自分だけ私ということに出来ないかな。
でもそんなことも出来ないから、自分の好きになれないところに見て見ぬフリをして、知らん顔して過ごしてきました。ほんのつい最近まで。
日記ブログを書くようになって、そんな心の負債をちゃんと言葉にして文字に起こしたら、意外や意外。
そんな自分をちょっと受け入れてもいいかと思うようになりました。
ちゃんと整理すると軽くなるものですね。
過去の自分を見て見ぬふりしてきた私が、こんな記事をブログに書けるようになったくらいには、自分の中のどんよりとしたものが整理されてスッキリしました。
ブログには自分と向き合って心を整える効果があると思う。
日記帳じゃなくブログでたくさんの人に公開して書くことで、読んでもらってもいい言葉を選んでいる。自分の内だけの言葉なら、もっと自分に辛辣な言葉を使ってしまうと思う。
最低限誰かに見せてもいいと思う言葉を選んで使っているので、その言葉で表現された自分は受け入れやすい。
そうやってちょっとずつ良い感じのサイクルが出来て来たような気がする。
ブログを書くことで得られた自分と向き合う時間は、これからも大事にしていきたい。
まさかこんな赤裸々な記事を書く日が来ようとは。
50日でも続けると変わるものですね。