下手の横好き日常log

今を楽しみながら生きていく

物語において敵キャラの美学は重要。

今週のお題「鬼」

鬼といえばキメツです。

ええ、国民的漫画「鬼滅の刃」のことで間違いありません。

世の中どこもかしこも鬼滅だらけ。ちょっと前までコンビニに入ればいつも煉獄さんがいて、最近は宇髄さんとしょっちゅう目が合う。

気になっていたフェイスパックのお試しを買ったら、こんなところにも炭治郎。

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鬼滅に包囲されています。これは避けては通れません。

 

でも好きになれないんですよ、鬼滅の刃

なんか物語にどっぷり入っていけないというか。

なんでだろう?勧善懲悪のストーリー?絵が好きじゃない?うーーーん?

なんというか、推しキャラが見つからない。大体は悪のキャラクターとか、強キャラ感のあるのが好きなんですけど・・・。

それで気がつきました。

敵キャラが全くと言っていいほど私の心に刺さらないということに。

敵キャラには美学がある方が心に突き刺さるということに。

 

※ここからは私の漫画における敵キャラ論をひたすら語る記事となっております。最終話までのネタバレも含まれますのでお気をつけください。

 

鬼滅の刃には大ボスである鬼舞辻無惨を筆頭にした、人を食う「鬼」という敵キャラが登場します。自分勝手で残虐、でもその背景には悲しい過去があり、鬼になってしまうまでにはとてつもない理不尽を経験しているキャラクターたちです。

残虐なだけではない、悲しい過去。もとは同じ人間であったのに悲しみと憎しみに負けてしまった哀れな鬼たち。

鬼は哀れでかわいそうな存在。どの鬼も消える前には走馬灯のように過去の痛みを思い出して、何かに納得して消えていきますが、ただただ哀れな印象が強い。

なんというか、美学が足りない気がする。

 

ワンピースにおける白ひげ、ナルトにおける長門ハンターハンターにおけるクロロみたいな。

自分を刺した部下に「馬鹿な息子をそれでも愛そう」と言った白ひげ、平和のために必要悪になって世界に挑んだ長門、冷酷で残虐だけど仲間の死にはひっそりと涙を流すクロロ。

敵キャラには敵キャラの大切な信念、美学ってものがあるじゃないですか。「仲間は売らねえ!」みたいな。

それが鬼滅の鬼たちにはあんまり感じられない気がする。

いや、猗窩座の過去を思い出して自らを攻撃した姿とか、女は決して食べなかったとかは美学があるかもしれないけど。

黒死牟が縁壱に対して嫉妬故の憎しみもありながらも、子供の頃に縁壱に渡した笛をずっと持っていた複雑な気持ちの描写とかはなんかグッとくるけど。

 

だけど無惨、お前はダメだ。

下弦の鬼たちを一方的に殺していったパワハラ会議もダメだし、最後の戦いで朝日が昇り始めた時に、あっさりと逃げようとする姿とか、最後の最後で炭治郎に縋り付く惨めな姿とか、美学がない。

無惨様は自分が死ぬことに怯えているだけ、本当の意味での仲間もいない、信念も感じられない。

美学が無いから、鬼舞辻無惨には生存本能だけのゾンビっぽさとバイオハザード的な災害感がある。

るろ剣の志々雄真実みたいな悪のカリスマとは器が違うよなーって思ってしまう。

鬼滅の鬼たちは仲間意識も強くないし、忠誠心だって厚くない。無惨様に生殺与奪の全てを握られて、恐怖政治を敷かれている。ただただ理不尽な災害に飲み込まれてしまった可哀想なキャラクター。

意図してそれを描いているならとても見事な設定なんだけど、私には可哀想な敵キャラ感がはまらなかった。

完全に好みの問題なんですけどね。

 

主人公の正義の反対にあるのは誰かが持つ別の正義でそこにも強い信念がある。信念と信念がバチバチにぶつかり合い、時には認め合う。

可哀想なだけでは終わらない、悲しみに由来する信念のある敵キャラがいるストーリーの方が私は好き。

少年ジャンプで育んだ、深刻な厨二病です。自覚はあります。

 

ちなみに、鬼滅は一旦電子書籍で那谷蜘蛛山編から最終巻までは全巻揃えて読みました。

最初はそんなに興味無かったんですが、地上波で放送されたのを偶然見たときにアニメーションのあまりの綺麗さにびっくり。

ストーリーが気になって、気がついたらコミックス最終巻までしっかり課金してました。

 

あんまり好きじゃないとかなんとか言ってますがここまでたっぷり2000文字近く。アニメーションに期待して無限列車もしっかり見たよ。

 

鬼舞辻無惨討伐のために命をかけた珠世と、そんな珠世を愛してずっと珠世の絵を描き続ける愈史郎にはいつかちゃんと幸せになって欲しいなと思った最終話。

無惨と鬼達には微妙な気持ちになれども、なんだかんだで鬼滅を最後まで楽しみました。