下手の横好き日常log

手探りな毎日だけどシンプルに、マイペースに。

どん底の受験と楽しんだ受験、両方味わった私が受験生に伝えたいこと。

今週のお題「試験の思い出」

 

試験の思い出、私にとって忘れられないものは2つある。

1つは大学受験。もう1つは国試受験。

大学受験は結果から言うと大惨敗。浪人した挙句に第一志望を諦めた。人生最大の失敗のひとつでもある。

だけど、その後入学した大学卒業間際に受けた国試は、大学受験の暗黒がウソのように、勉強が楽しくて仕方なかった。

それでも最後はプレッシャーが嫌になって早よ終われと思っていたけど。

この受験期が人生で1番充実していた。

 

両方とも人生のターニングポイントになった受験だから、試験の思い出を聞かれたらこのエピソードは無視出来ない。

 

さて、まずは高校卒業後の浪人時代。

人生の暗黒期だった。

目指していたものがそれなりに高かった。

周りからは「無理に決まってる」「やめておいた方がいい」それしか言われてないと思う。

巻き返したい、見返してやりたい。

そんな気持ちはあれど、どうしたらいいのか分からない。ズブズブと沼に嵌まっていくようだった。

苦しかった思い出の方が格段に多い。

最後は苦しさに負けて、第一志望だった学部とはちょっと違うベクトルを道を選んだ。

長い目で見ればそれで良かった。その選択で今の私は生きている。

でも当時は、それがしばらくコンプレックスにもトラウマにもなった。

この頃を知る友人たちは、今だに思い出話の際は私の顔色をチラッと見る。

もう本当に懲り懲りだと思った。

 

その後入った大学では、もう勉強はそこまで頑張りたくなかった。

だがしかし、そこは卒業が決まれば国試を受ける職能系学科。大学4年生になれば国試受験生となる。

 

国試受験は、大学受験と同じく模試を受けるところから始まっていく。

勉強嫌いのトラウマを抱えた大学生の、成績がいい訳がなく初回は大惨敗。ワーストから数えた方が早い成績となる。先生も引く。あ、これヤバいやつ。

本当に肝が冷えた。大学受験で大失敗してるからもう後がない。何がなんでも受かるしかない。

でも幸い、国試は特定の点数が取れれば合格。同期生たちはみんなライバルではなく仲間。

先生も諦めろと言うでもなく、合格の為に力を貸してくれる。

周りの人の成績を気にして敵視する必要もなく、自分の実力とゴールの距離をいかに埋めるかだけを考えて、自分と向き合うだけで良かった。

これが大きな追い風だった。

とにかく毎日大学の図書館に通い詰めて、授業の後に夜9時の閉館まで勉強し続けた。閉館の合図の蛍の光を聞くのが日課

最初は基礎もあやしかったので、国試対策授業で覚えるように言われたものは全部覚えた。

出題傾向を掴むため、過去問も徹底して研究した。

過去問から、これさえ覚えれば絶対大丈夫だと思える重要知識ノートを作ってそれだけをひたすらやることにした。

ちなみにこのノート、キングジムのデカいバインダーにルーズリーフを纏めたもので厚さ約10センチ。膨大な出題範囲を満遍なく勉強するには必要以上のことはやらないと決めてしまった方がいい。

模試がある度に出来なかった分野にチェックをつけて、次の模試までにやることをリストアップ。それを毎回繰り返した。

勉強時間は毎日8〜9時間。期間半年。

 

やればやるほど分かることがメキメキと増えていく。

わかることが増える度にパァッと視野が広がっていく気持ち良さがある。

楽しい。勉強って楽しいんだ。

大学受験のときとは違って、ちゃんと今の自分とやるべき事を把握してる。

途中、就活と卒論を挟んで発狂しそうな日もあったけど、それでも移動時間は暗記と決めていた。リクルートスーツで謎のラテン語を反復しながら電車に乗っていた。

就活も卒論も終わって、勉強に集中するようになってからは楽しさに比例するように成績は上がって、後半の学内模試は毎回トップ10。

最後の模試はトップ3にまで駆け上がった。

試験前日には先生に、「貴方が落ちることはないから気楽に受けておいで」と言われるようになる。隣でゾンビになる同期生を尻目にだ。

大学受験とえらい違い。

立場がまるで逆だもの。

自己採点では8割近い点数になる。合格点は6割。余裕で合格。

のはずだけど過去の思い出から自分を信じきれず合格発表まで落ち着かなかった。

 

国試勉強は楽しかった。

ちゃんと自分の力で前進している実感が幸せだった。

今にして思えば大学受験が苦しかったのも、上手くいかなかったのも完全に自分を見失っていたからだ。偏差値やら合格判定やら周りの声やらにやられてしまい、「自分にはできる」というメンタルを失っていたと思う。

「これをやらなきゃ、あれをやらなきゃ、合格できない」出来もしないことばっかり考えて、私の中はぐちゃぐちゃだった。

ぐちゃぐちゃで勉強にどう手を付けていいか分からなくなっていた。何をやっても空回り。

ちゃんと出来ると信じて1個ずつ課題に向き合っていけば、私にだってワーストからトップへ這い上がることが出来たのに。

 

自分を見失ったとか格好良さげに書いてるけど、成績と周りの声に必要以上に堕ちたのが最大の敗因だった。お豆腐メンタル…。

そんなへにゃへにゃメンタルだった私へ、多少図太くなった私からアドバイスを送りたい。

まずは「成績は、点数は、君の全てを格付けするものではないから必要以上に凹むな」ということ。偏差値なんかただの数字よ。

自分の全てを否定された気になる必要は無い。

感情的にならず、必要な情報だけ拾い出せ。

そして、

  • どんな勉強法を選ぶのか
  • どうやって勉強時間を捻出するのか
  • 何をやって何をやらないのか

そういう、自分と向き合う時間を大切にした方がいい。

受験生の間は目標と自分を照らし合わせて、どんな工夫が自分には最適なのか試して試して試しまくることが出来るんだし。

考えてみれば、学生なら定期的にテストがあって結果が数値で出るんだから思いっきりPDCAを回しやすい環境にはあるわけで…。

自分にとって最適な工夫を見つけることができる期間でもあると思う。

与えられた課題を乗り越えるための訓練として受験を利用してやれ。

どうせ受験勉強の知識なんて後々使わなくなるものも多いし。

「目標に向かってベストな戦略を立てるための工夫が出来るようになる」

「結果にコミットする方法を自分で編み出すことが出来るようになる」

そういうのを目標に色々工夫した方が後々役に立つはず。

というか、こっちが本来の受験勉強の大きな意義だと思うから、偏差値で苦しんでる学生さん、「結果がどうであれ、その努力こそが将来の財産になる」っていう言葉は、割と大真面目にガチですよ。

綺麗事に聞こえちゃうのがネックだけど。

 

周りに振り回され過ぎず、地に足を着けて着実に進むことは大事。

浪人時代の自分に声をかけるなら、「出来ることしか出来ないんだから、出来ることをやれ」と言う。

当時の私に伝わるかはわからないけど、それが真理だと今は思う。

出来ることしか出来ないのだから、出来ることに向き合って工夫し続ける。

そして自分の身の丈を知る。

身の丈というと自分の限界というネガティブな印象があるけど、出来もしないことをやろうとするのは空回りの始まりだから。

出来ることで着実に進んでいくのが、遠くに行くためには必要だと思うよ。

 

私は苦しくてどうにもならなかった受験と楽しく勉強して合格を勝ち取った受験と、両方とも経験した。

失敗体験も成功体験もして、良くも悪くも人より繊細で、良くも悪くも人より図太いメンタルになったと思う。

こんな記事を書けるようになるくらいには両方自分の糧になる経験ではあったと思っている。

 

ただ、いまだに辛かった方の思い出がたまに亡霊になって枕元に立つ。

空回りの果てに、もっと出せたであろう力が何も出せなかった悔しさと後悔の亡霊に取り憑かれている。

自分を見つめて、実力を知ることはとても辛い。

でも、自分の力で前進できないままに終わってしまうより、実力を知って納得のいく戦い方をした方が後悔は少ない。私はそう思う。

 

だからどうか受験生の皆さん、結果がどうであれ、受験が終わった後も成仏出来ない後悔を抱えてしまわないでね。

大丈夫。いつだって遅くはない。

自分に負けるな。頑張れ。