作品には残らなくても、記録には残したい。
私の撮る写真は記録というより作品という感覚がある。
風景写真が好きだから人が映らなくてもいいし、自分も当然映らなくてもいいかと思っていた。
「そのカメラでもものみも記念に撮ろうか?」と言ってもらっても「これは私が自分で写真を撮るためのカメラだから。写真はさっきスマホで撮ってもらったのをシェアしてもらえれば大丈夫」と言ったことがある。
ひねくれててごめん。
だけど、最近ちょっと考えを改めた。
最近のPhotoshopのCMを見てからだ。
断っておくとPhotoshopのCMの批判をしたいんじゃなくて、作品と記録というのはちゃんと両方大事にしたいなと思うきっかけになったという話。
本題。
Adobe PhotoshopのCMは花嫁?がウインドブレイカーの下にドレスを着て、友人たちと山へ登ってウェディングフォトを撮るというストーリー。
頂上でドレス姿になる花嫁。
ドレスを美しくたなびかせるために、友人たちが協力してドレスの裾を持つ。
そしてPhotoshopで裾を持った友人たちの姿を消して作品にする。
美しい作品が出来て友人一同笑顔で喝采。
Photoshopというソフトの素晴らしさを表現するというもの。
うん、ウェディングフォトとしての出来栄えは素晴らしかった。
Photoshopの加工技術も素晴らしかった。
だけど、加工でいなかったことになってしまったこの友人たちが、この撮影に協力したことは記録に残るんだろうか?
私が友人たちだと勝手に思っていたこの協力者たちはただの職業カメラマンで、別にクライアントの写真に自分達が映らなくてもいいのかもしれない。
それでもこのCMの、写真作品が出来上がった時の、協力していたみんなの笑顔はとても素敵だった。
いい写真を撮るためにチームとして協力した仲間の友情を感じた。
だから、加工で完全に自分達がいなかったことになっても笑顔でいる人たちに、写真を撮ってもらっている花嫁に、余計なお世話ながら「この人達、いないことになっちゃうけどいいの?」と思ってしまった。
PhotoshopのCMとしては製品の魅力を伝えて終わっている。
でももしこの後ストーリーが続くなら、この皆が笑顔の記念写真も撮っていて欲しいと切に思った。
このとびきりの笑顔たちを写真に残さないのはとても惜しい、そんな気持ちになった。
ここで、私の「写真は絵であり、作品」という認識がちょっと変わった。
作品を作った日の思い出を写真に撮ってカタチに残すことも大事じゃないか。
私は今まで自分の写っている写真があまり好きではなかったし、自分でも一眼カメラを手にするまであまり写真を撮ってこなかった。
だから中学高校と学生時代の写真はほとんど残っていない。
写真がなくたって思い出はなかったことにはならないけど、ちゃんと記録に残しておけばよかった。
このCMみたいに、みんなととびきりの笑顔で分かち合った瞬間だってたくさんあったのに。
自分は今までとてももったいないことをしていたんだと気がついて、ちょっと悔しくなった。
作品作りの写真も楽しいけど、記録としてその瞬間を切り取れるところも写真の素晴らしいところなんだから。
ちょっと照れくさいけど、ちゃんと自分も一緒に写って、同じ仲間だったことをカタチにしておくのも悪くない。
だから今度はSNSには載せないかもしれないけど、記録として、思い出としての写真もたくさん撮りたいと思う。